ぼくの隣の宇宙人


「とうふとナットウは、逆じゃないだろうか」
 宇宙人がそう呟いて、ぼくたちはぴたりと手を止めた。
「とうふとナットウは、逆じゃないだろうか」
 しばらく黙っていたら、まったく同じ台詞がリピートされた。無視したいなぁ。そう思っているのは一緒のはずなのに、カードを囲んでいる友だちはみんな、一斉にぼくを見る。アキラ、ナオタ、タケトモ。三人の無言の圧力に負けて、ぼくは仕方なしに隣の席に顔を向けた。すると宇宙人が最初からこっちをガン見していたことに気づいて、うわーって気分になった。
「どういう意味だよ、それ」
 めんどくさいんだぞって顔で聞いたのに、宇宙人はまったく申し訳なさそうな顔をしない。かといって得意げとか、嬉しそうとかでもない。いつもどおり、ぼんやりした表情で喋る。勢いよく喋る。
「とうふとは『豆が腐る』と書くんだよ。ナットウは『豆を納める』だ。しかしそれはそれぞれのの形状に相応しくないのではなかろうか。少なくとも僕はトウフが発酵しているとは思えないし、四角いナットウも見たことはない。容器は四角いが、それならとうふだってほとんどの場合四角い容器に入っているしね。君は四角いナットウ粒を見たことがあるかね、カワノくん」
「いやぁ……」
「そうだろう。だからね、そもそもあのふたつの名前は逆だったのではないかと思うのだよ。それがどこかで入れ替わって現在に至ると。それなら納得がいくだろう。実際、ゴキブリなどは元々ゴキカブリ――つまり『御器を被る』という意味の名だったものが、なんと辞書等の印刷ミスで一字抜けて現在の『ゴキブリ』という名に落ち着いたという説がある。まあいくつかある中の一説ではあるのだが、物の名前というものはそうした偶然の変遷を辿ることがままそうだ。ということはとうふとナットウが入れ替わっていてもおかしくはないではないか。なあカワノくん、どう思う?」
「あー……うん」
 朗読の手本みたいにすらすらした長台詞に圧倒されつつ、ぼくは答える。そうかもね、と。そうかもしれないけどね、と。
「どうでもいいよ、そんなの」
「ほう。なぜだい」
「ホントに昔は逆だったとしても、今はとうふは『豆腐』、ナットウは『納豆』だってみんなが思ってんだからさ。間違いじゃなくて、えーと、アレだよ、進化だよ」
 手元のカードをちらっと見ながら言うと、宇宙人は「おおっ」と声を上げて頷いた。
「そうか、進化か。そうだね、そういう見方もできるんだね。いやぁ素晴らしい。ありがとうカワノくん。さあゲームを続けてくれたまえ」
 言われなくてもそうするよ。やっと解放されたぼくは、ともだちの方へ向き直る。こっちの様子をうかがっていた三人が、同情と「おつかれさま」の混じった目を向けてきたから睨み返した。見てるくらいなら、一緒につきあえよ。薄情者ども。
 よっぽどぼくの意見が気に入ったのか、宇宙人はうんうんと何度も頷いていた。
 
 隣の席の宇宙人の名前は、レイジという。見た目はいちおう地球人だ。ちょっとひょろっとしてて、夏でもぜんぜん焼けないから病弱そうな感じだけど、去年同じクラスになってから休んでいたことはない。体育もそこそこ。勉強は花丸満点。
 でもって思考回路は巨大迷路だ。これまで同じクラスになったやつらの話によると、どうやらアイツは入学してからずっと、その巨大迷路にみんなを巻きこんで困らせてきたらしい。
 まずクラス替えで「自己紹介しましょうね」と言われれば、生まれたときのことから話しはじめる。作文を書くことになったら、テーマについて質問するだけで国語の時間をまるまる使う。「気を付け」「休め」の「休め」の姿勢で本当に身体を休めることはできるのか、学年全員に感想を聞きまくる。きわめつけに、みんなに恐れられている先生に「素直じゃない」と叱られて「素直とは穏やかでひねくれていない様子を指しますが、先生は僕が猛々しくひねくれた性格であると仰るのでしょうか」と言い返す。
 当然、クラスどころか学校中で浮きまくりだ。あまりに変すぎて、いじめてやれと思うやつもいない。だからたいていひとりで本を読んでるか、ぼーと空でも見ているか。それでいきなりさっきみたいに変なことを呟くんだ。
 六年生になって隣の席になってから、ぼくはその変な呟きにつきあわされている。それまで話す機会がなかったせいで、甘く見ていたんだ。四月の初めにうっかり返事をしてしまって以来、ヤツはあきらかにぼくを話し相手とみなしている。
 いや、べつにふつうの話ならしてもいいんだけど、レイジの場合たいていがさっきみたいな変な話だから厄介なんだ。
 おでんの“お”が敬語でもそうじゃなくても、なんの問題があるっていうんだ。
 
 GWが終わった次の週。
 ぼくは流行の風邪にやられて寝こんでしまった。といっても五年生からの持ちあがりだから新しい友達を作る必要もないし、委員も当番もとっくに決まっていた。ある意味安心して思う存分、五日も休んだ。こんなに長く休むのは二年生のときの水ぼうそう以来だ。
 その、熱も下がって来週から登校できるかなとお母さんが言い出した五日目の夕方。
 レイジがうちにやってきた。
「やあ、カワノくん」
 お母さんに呼ばれて玄関まで出てきたぼくは、そんな、やっぱりちょっと変な挨拶をするレイジをぽかんとして見てしまった。
 なにしに来たの。思わずそんなことを口走ってしまって、お母さんに怒られる。だって連絡帳とプリントは、いつもどおりアキラたちが持ってきてくれた。レイジと遊んだことなんてないし、そもそもよく家を知っていたことに驚きだ。ぼくの方はどこの町内かすら知らないんだから。
 ぽかんとしているぼくに、レイジはいつもどおりのぼんやりした顔で言う。
「ずいぶん休んでいるけれど、病状はどうだい」
「え、ええと。来週には学校行くよ」
「そうかい。それはよかった」
 そうして、手に提げていた紙袋をぼくに渡して、上がっていけばというお母さんの言葉を大人みたいな丁寧な言い方で断って帰っていった。
 紙袋の中に入っていたのはちょっと気の早い水まんじゅうだった。
 ひとつずつ笹に似た葉っぱに包まれた半透明のその和菓子は、つるんとしていて食べやすかった。だけど夕飯の後、お母さんからお礼の電話をしなさいと命令されて、ぼくはげんなりしてしまった。
 だって宇宙人と電話で交信だぜ。「そういえば、お見舞いというのは何故『舞う』と書くのだろうね。誰も病人の横で舞うことはないじゃないか」なんて言われたら、また熱上がっちゃうよ。
 正直、よけいなことしてくれたなと思いながらぼくは電話を取った。呼び出し音が五回鳴った後で上品そうな女の人が出て、つっかえながらレイジを呼んでほしいと頼むと「お待ちになってね」と言って保留音になった。「お待ちになってね」だって。あいつんち、シャンデリアとか飾ってあるじゃないか。『エリーゼのために』を聴きながらセレブなお屋敷を想像していたら、受話器の向こうにレイジが現われた。
「こんばんは」
 電話に出て一言目が「もしもし」じゃないヤツは、やっぱり変わってると思うんだ。
「もしもし、レイジ?」
「君が呼び出したのは僕なんだから、違う人物が応対したら不可解だろう」
 はいはいそうだね。やっぱり長く話すとまた熱が出そうだったから、ぼくはさっさと今日のお見舞いのお礼を言って電話を切ろうとした。
 けれどそこで、レイジが言った。
「言葉はね、電波なんだよ」
「え?」
「どれだけ発しても、受信先がなければただ空間を漂うだけで、なんの意味もないんだ」
 なにを言ってるんだか、いつも以上にわからない。だけどなんとなく、はいはいと聞き流しちゃいけない気がした。
 受話器越しだからかもしれない。お見舞いになんか来てくれたからかもしれない。
 来週、待ってるよと言ったレイジの声は、いつもよりほんの少し元気がない気がしたんだ。
 
 その夜、変な夢を見た。
 世界中の人がリモコンを持っていて、頭にはアンテナが立っている。
 ピピピ。ピピピ。リモコンから、いろんな形、いろんな色の電波が発信される。
 赤、青、黄色。ピピピ、ピピピ。
 波型、直線、ギザギザ。ピピピ、ピピピ。
 誰かの発した電波を、べつの誰かのアンテナが受けとめる。気がつくとぼくの頭にもアンテナが立っていてに、アキラやナオタやタケトモや、お母さんやお父さん、いろんな人からの電波を受け取っている。ぼくのリモコンから発信される電波も、みんなが受け取っている。
 楽しいな、と思って見渡したら、ぽつんと立っているレイジに気がついた。
 笹の葉っぱみたいな形の電波がひらひらと発信されている。だけどそれは、さまようばかりで、どこにもたどりつけない。アンテナはたくさんあるのに、どれも受けとてくれない。たくさん人がいるのに、誰にも届かない。
 レイジは小さく溜息をついた。いつのまにかその足元に半透明の円盤が現われている。水まんじゅうみたいなそれが、キュウゥンと音を立てて舞い上がる。レイジを乗せて舞い上がる。どんどんどんどん遠くへいく。
「レイジ!」
 ぼくは叫びながら、アンテナをもっと伸ばそうと頭に手をやった。
 だけど引っ張ったのは電気の紐で、同じ部屋で寝ている兄ちゃんにまぶしいと怒鳴られて目が覚めた。
 
 次の週からぼくはまた登校した。アキラたちと久しぶりなんて言い合った後はいつもどおり。待ってるよなんて言ってたレイジもいつもどおり。
「ところで『おはよう』とは『お早う』と書くのだけれど、盛大に寝坊した休日であっても、一日のはじめの挨拶は『おはよう』でいいのかねえ」
 やあおはようなんて言ったすぐ後でさっそくこれだ。ぼくはやっぱり、めんどうくさいなあという思いをはっきり顔に出して、でもいちおう、ちゃんと受信してやる。
「うちの母さんは嫌味で『おそよう』って言うぜ」
「おお」
 僕の返した電波を受けとめて、嬉しそうにレイジが笑った。
 
 
 <了>
 

 
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