拗ねる


  
 つけっぱなしのテレビから、笑い声が聞こえてくる。
 マグカップの緑茶を一口啜って、少年は彼の方を見る。正方形の対岸にいる青年は、本日みっつ目のミカンを剥いていた。さすがにこのところ毎日数個剥いているだけあって、テレビを観ながらも手元を疎かにはしていない。しかし。
「……あいてるよ」
 口元は疎かだった。
「まだ食べるの?」
 職場の後輩から大量に貰ったミカンは甘くてみずみずしく、最初のうちは少年も喜んで食べていた。が、ものには限度というものがある。ほぼ毎日出勤するたびに両手いっぱいに渡されては、消費が追いつかないし何より、飽きる。
「俺、もう限界」
 コタツの真ん中にでんと積まれている果物を食べる義務は、少年にはない。けれど自宅で食される日を待っているこれより大きなピラミッドを思うと、そんな泣き言もついこぼれる。
 対する青年はとくにうんざりした様子もなく、白い筋まできれいに取った房を二つに分けて、大きく開けた口に放り込んでいる。まぐり。整ったラインを頓着なく崩してミカンを頬張る姿に、見ている方が満腹になりそうだ。……というか、満腹だ。
 だってさっき、夕飯を食べたところだから。
「よく、入るね」
「甘いの好きだから」
 いや、甘いとか辛いとかじゃなく。
「さっきご飯二回もおかわりしたよね」
 しかも、どんぶりで。
 少年はまじまじと目の前の人物を眺める。肝心の腹部がコタツ布団で見えなくても、米やら肉やら野菜やらが大量に納まっているようには思えない体型だ。……ああ、そういえば帰りがけ寄った肉屋でコロッケとか買い食いしていた。三時のオヤツにはケーキとシュークリームも食べていたっけ。
「ブラックホール?」
「なんだよ」
「だってさぁ」
 もぞもぞと隣の角に移動して、布団をめくる。トレーナーの上からぺたりと触った青年の腹は、なんだかあんまり膨らんでいなかった。
「どういうこと、これ」
「なにが?」
「だって普通、もっと出るでしょ」
「……鍛えてる、から?」
 首を傾げながらハテナマーク付きで答える青年の身体は、たしかによく締まっている。頭が小さくて肩幅が狭くて腰周りも細いけれど、無駄な肉がないだけで意外に筋肉質なのだ。
「…………」
「…………なに?」
 青年の声が降ってくる。同性で、服の上からとはいえ、腹部を触られっぱなしというのも落ち着かないのだろう、困惑の混じったその声を無視して、少年はさらにそこを叩く。ぱんぱんと、いい音が返る。
 硬い感触だ。いまさら確認しなくても知っているけど。
 そんな硬さになるまで、どれだけ頑張ったかも知っているけど。
「おーい。なんだよ?」
「……」
 ぱんぱん、ぱんぱん、………どすっ。
「っ!」
 それほど力はこめなかったけれど、それでも頭上の人は息を呑んで身体を曲げた。
「な、なにすんだっ」
「べつにー」
 くの字に曲がった青年をほったらかして、少年はそっぽを向いて寝転がる。
 わかっているんだ。年齢も違うし、経験値も違うし。ちゃんとわかってはいるんだけれど。
 ……チクショウ。
 コタツの中で、気づかれないように触ってみた自分の腹筋はまだまだあんなに硬くはなくて、少年はほんの少し口を尖らせた。
  
  
 
  
 
 
 <了>

 
 
 
   
 
 
  
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