泣かせる
心配させた自覚はあった。昂じて怒りに変わっている可能性も、当然あるだろうと思っていた。
だからまっすぐ歩いてくるその人の、強張った顔を見たときには殴られる覚悟くらいはできていたのに。
「……?」
視界に大きく、後頭部。肩の上に重量、首のまわりに圧迫感。
自分を殴るはずの人に抱きしめられて、少年は目をしばたいた。
「は……、えっ?」
何度見直してもそこにいるのは彼、ほんの数秒前には怒りを湛えていた青年だ。
「え、なに、なんで…?」
腕を掴まれたのは覚えている。力一杯引き寄せられたから、次にくる衝撃に備えて目を閉じたのに。
なんだろう、これは。
「……、」
耳元で、聞こえる呼吸が震えている。深く吸おうとして、できないような。不自然な音律が意味するのは、ただひとつで。
「…」
言葉を、失ってしまった。
心配させた自覚はあった。怒っていてもおかしくないと思っていた。だけど。
心配して、心配しすぎて怒りも飛び越えてこんなふうに泣かれてしまうなんて、思わなかった。
「な、か、ないで、よ」
少年は、必死に言葉を絞り出す。
「そんな、こどもじゃないんだから、おおげさな」
身を捩って逃げだそうとしても、ゆるやかな筈の枷を外せない。
「ちょ、ねぇ……」
自分のじゃない体温が、呼吸が鼓動が、居心地を悪くする。
「…ねぇってば」
どうしたらいいのかわからず、少年はおずおずと彼の背に腕を回した。
「泣かないでよ」
あやすように叩こうと、思ったはずの手は。
少年の手は思うようには動かず。
「……あやまるからさぁ」
ただ、青年のジャケットを握りしめるしかなかった。
「…………ごめん」
途方に暮れた声が、喉から漏れる。
「ごめんなさい」
もう、しないから。だから泣かないで。
嗚咽が耳を。抱擁が体を。肩口を濡らす涙の温度が、心臓を刺す。
殴られるより痛いだろうと、見ていた仲間のひとりが笑う。
そのとおりだと少年は唇を噛み締めて、生まれてから一番辛いお仕置きに耐えた。
<了>